この物語の行く末は ~閃光ばなしを観劇して~
幕が上がって数分の第一印象
「超うるさい!最高!」
ソーシャルディスタンス、飛沫防止、黙食、リモート…
まだまだ人との接触は最小限にとどめている日々。
その静かな日常に慣れつつある今、目の前で大人数がやいのやいのぶつかり合う姿に、昭和という時代とは別の意味でも懐かしさを感じた。
人って本来はこれくらい熱いものなんだよな、と思い出させてもらえたような。
そんな大人数が動き回る舞台上では、細部まで追うには目と耳が足りないくらい色々な事が起こっている。
コメディ要素満載の小ネタの応酬に笑いが止まらない。テンポが良くて面白くてクスクス笑える。
そしてそのやり取りの中には、笑えないくらい重い現実的な台詞も要所要所で盛り込まれている。
重いからこそコメディ色を強くさせている気もするし、ギャップで引き込ませているような気もする。
妹の政子。自分のことが嫌いだから今の状態でとどまっているなんてまっぴらごめん。
「プラスでもマイナスでもいい、ゼロから離れて生きていたい」の言葉にもそれが感じられる。
とんでもない発言や行動をするけどそこに迷いがなくて見ていて気持ちいい。
無鉄砲なようで、とても冷静に物事を捉えて考えている。
それが強さでもあり、寂しい部分でもあると思った。
両親を先立たせてしまった自分なんかは幸せになってはいけないのだ…と、自身の心を殺してしまっているからこそ、これだけ俯瞰的に考えたり勢いよく思い切れたりするのかもしれない。
でもラストの踊りの場面では、自分が踊ることで周りの誰かに希望を与えていることに気付いていた(幼少期思い出していた)のかな。そうだったらいいな。
黒木華さん、声がめちゃくちゃ通る、めちゃくちゃ聞き取りやすい!
あの大人数の大騒ぎの中でもまっすぐ飛んでくる、そんな綺麗な声で現実を突きつけてくる。
お兄ちゃんの是政。逆境に立ち向かう正義感の強い熱い男、なんだけれども、妹愛が激強でまるで片思いの男子のようにおどおどする場面もあったりで(回りくどい!by政子)、いい意味でちょっとふわっとしていて、劇中に変化していくキャラクターだなと思った。
そのふわっとした部分に安田さんご自身の人間性のようなものも乗っかって愛の人格者・是政が完成しているようにも見えた。
なので今回の是政からはいわゆる憑依的なものはあまり感じられなくて、等身大の安田さんな部分もある?のか?口の悪さとかは別だけど。うーん上手く言えない。
登場人物について語りだしたらキリがない…だって皆が主人公のようなお話なので…ということで中断。ちなみに好きなキャラは、是政に様々な気付きのきっかけをくれるお父さん、ぼっちゃんへのまっすぐな忠誠心が美しい加古さん、庶民と権力者の間で奔走する底根さん、です。皆好き。
ここからは特に印象深かった台詞等について書き殴る。記憶があやふやなので全てニュアンス。
「全速力で迂回せよ」
「急いで辿り着いても待っているのはクソだ。クソの中で長居することになる。でも遠回りしていられないのも青春(だっちゃ?)」
渡し船事業に苦戦中の是政に、お父さんが助言する場面の台詞。
お父さんの考え方…総じて好き…。私的1番の推しキャラかもしれない。
ゴールに早く辿り着くことだけが正解ではなく、その過程が大切。人生回り道もいいもんだよ、と私まで背中を押された気がした。
そして常に「クソ」は付き物というか、そんないい事ばかりの日々じゃないんだよね。どの時代もきっとそう。クソの中でもがいている途中で時々感じられる喜びとか幸せとか、そういうのをまずは大切にしたいと思った。
「見て見ぬふりをさせてくれ」
どん詰まりの住人たちの過半数が橋の建設を手伝い生計を立て始めた頃のやり取り。おそらく焼肉屋の旦那・柳の台詞だったはず…。
ニュアンスでしか覚えてないけど「これでもそこそこの生活はできる」的なことも言っていて、まさに昭和も今の時代も変わっていない現実なのでは。
政子の「街は自分たちで作っているのではなく、権力者が作っている牧場。私達は搾取されている。」この言葉も耳が痛い。
是政のように立ち向かっていく人になりたくても簡単にはなれない、どうすればいいか分からない。
でも自分なりに今を生きるために選んだ道がこれなんだよね。
私含め、観客にも同じような気持ちで生きていて共感している人は沢山居ると思う。
そんな気持ちを置いてきぼりにせず掬い上げてくれる場面だった。
「悪知恵でも知恵は知恵」
「生きる必死さで私達は負けている」
劇中の最大の敵・野田中のことを悔しいながらに讃える台詞。
一方の野田中自身は、権力者ゆえに憎まれる辛さやいつか覆される恐怖を吐露している。
悪役・敵役でも一人の人間としてバックグラウンドが描かれていて感情移入してしまった。
会長に辿り着くまでの苦悩、辿り着いてからの苦悩、常にもがきながら必死に生きているのは同じなんだよな。
B作さん、おじいさんなんだけど舞台役者さんとしてしっかりおじいさんで凄い。(語彙力皆無)(伝わって)(伝わらん)
「みんなって誰?」
「みんなに私は入っていないってことね?」
由乃お嬢様、加古さん、是政……終盤に複数人から発せられる"みんな"という表現。
"みんな"とは?観劇して自身に問い掛けた人は少なくないはず。
みんなのためにやろう、みんなで一緒に頑張ろう、とか、そんな言い回しを幼い頃から真意はよく分からないまま教えられてきた気がする。
そして大きくなるにつれて、みんなのためにという表現がどこか正義のヒーローじみていてちょっとしんどいなぁそんな風に感じるのは私の心が汚いからかぁ、などと思うことがあったり。
でも元を辿れば、結局自分自身のためなのでは?と観劇後に考えさせられた。
自分のために、自分が大切だと思う周りのみんなと関わる、みんなのことを考えて行動する。
これくらいシンプルでありたい、そう思うとなんだか心が軽くなった。
その思考に行き着くまでにハッとさせられたのはまたしてもお父さんの回想シーン。
土方の人達のためにお店を開いたお父さん。でもその原動力は自分が街のみんなに笑っていてほしいからで。「暗いのは無し!」と笑いながら話していたのが印象的だった。お父さん、やっぱり好きだな。
最後に、ラストシーンの自分なりの解釈を。
バイクで飛んでいる時に星の話をしていた政子。自分も死んでその星になろうとしていた?でも飛ぶ提案したのは政子だしな…。
是政はバイクの性能を信じて生きて降りようとしていた?
(分からない…腑に落ちる解釈迷子)
そして電柱守と立ちんぼと政子の会話と踊りで静かに幕を閉じる。是政は姿を見せないまま。
えっ!ここで終わるのか?!と衝撃だった。
観客が解釈を委ねられた結末。
裁判は勝ったのか?負けたのか?是政は帰ってくる?逃亡した?生きている?
ぐるぐると考えた末、私は「物語の続きは観客の人生にある」という解釈に至った。
以前、テーマが重めのとある作品がハッピーエンドで完結した時、報われて良かったなぁと思う反面「私の人生はハッピーエンドになるのだろうか…」と現実とのギャップに気持ちが置いてきぼりになってしまったことがある。
閃光ばなしが、もし華々しいハッピーエンドだったら…同じような気持ちになっていたかもしれない。
そういう意味でもこの余白の多い結末はとても秀逸で、劇中の人物達と共に物語の続きをもがきながら生きたいと思わされた。
昭和三部作は形式としては完結したのかもしれないが、今後も自身の中で間違いなく生き続ける作品になっている。
まだまだ不安定なご時世にも関わらず、エンタメを通してパワーを届けてくださるカンパニーの皆様、いつもいつもありがとうございます。
どうか千穐楽を笑顔で迎えられますように。